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2009年3月

2009年3月27日 (金)

ひばりん村通信Vol:151青森ヒバ林の歴史  藩政時代のヒバ

南部藩は、青森県の東半分を領有していました。南部藩の林業政策は、財政の関係上

ヒバ林の伐採利用と造林事業に、積極的で、毎年伐採する山を予定しておき,輪伐法によって、5寸角以上の物のみを山師に払い下げ、藩の財政にあてていたようです。

この作業が下北半島のヒバ林が複層林型となっている原因だと考えられていました。造林は1712年、ヒバも杉も赤松と並んで造林重要樹種に指定され、無立木地に積極的に行われた。

取分林と言われるのは部分林で、主にスギ、ヒバが植栽された。この2樹種の分収歩合は、2官8民として奨励されてきました。Photo

次回は近代の林業政策について3回にわたりお送りいたします。

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2009年3月26日 (木)

ひばりん村通信Vol:151  青森ヒバ林の歴史  藩政時代のヒバ

ヒバ林は主に、津軽・下北半島を郷土として、津軽半島は、津軽藩(弘前)のもと、下北半島は、南部藩(盛岡)の元に、林業政策が行われていたそうです。

津軽藩は現在の平内町から西半分をしめていて、1661年藩主・津軽信政により森林の重要性がとなへられ、これが代々受け継がれていたそうです。

伐採に対しては村民の連帯責任性を取り「青森ヒバ」1本に首1つの厳罰を持ってのぞみ、その伐採を許可してきたため、現在では、この青森ヒバ林が一斉林型を保って残された結果、日本3大美林の1つとして言われるような、結果を生んだのでしょう。Photo

次回は南部藩の政策についてお届けします。

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2009年3月15日 (日)

ひばりん村通信Vol:150 近況報告 

只今、3月15日(日曜日)午前9:30

リハビリの効果も出てきて、朝から杖も持たずに自宅周辺を一回り。やっと不自由ながらも自分のペースをつかんで毎日を過ごしております。Photo

散歩などと言うものは、病気をするまではしたことがなく、歩くと言えばもっぱらゴルフ場の芝生の上だけで、自宅周辺などで歩くなど想像もしていなかった不肖大西、今では毎日〃お散歩三昧!

ろくに仕事もせずにあと半年くらいは、退屈な毎日が続きそうです。おかげさまで久しぶりに本も読みたいだけ読む時間があり、今は時代物を読みふける毎日。仕事もパソコンと電話で済むものだけでそれ以外はすべて奥様が仕切っております。

おかげで洗濯や食事のかたずけ程度の家事は率先してこなしております。

本当に人間健康が何よりの幸せですね。早く元気になって普通の生活に戻ろうと思っております。皆様もくれぐれも健康管理には気を使いましょう。

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